帰国しました。6か9かの境界線。
ただいまです。
お盆に帰国していたのですが、もうなんていうか休みすぎてて色々死んでいました。
とりあえず、どうして途中からブログの更新がなくなったから説明しますね。
えーっと、
携帯が壊れたからですw
バルセロナで修理いたしましたが、
もうその頃は遊び呆けていたので日本に帰ってからゆっくり更新しようと、こんな時期になってしまいました。
読者さんが増えていたのに申し訳ないです。
応援してくださっていた皆さん、ありがとうございました^^
ところで、サンティアゴ巡礼はどうだったかですが・
追々、ジャーナルを元に続きを書いていく予定ですし
実は、詳細はまだ書けませんが、あるちょっと有名なサイトで旅コラムを書くライターのお仕事をするかもしれません。
FB投稿を見てくれていた、大学の先輩のご縁で。
本名で書くことになったら、このブログは閉鎖しちゃうかな。。
いや、そうでなくても写真で同一人物って特定できちゃうから閉鎖かなw
もし写真をあまりに使わずに文字だけだったら、残すかもです^^
どういった視点から書くかはまだわからないので、ブログとかぶったり、客観的に「これ同じ書き手だなw」と特定が容易すぎたら削除w
書かせてもらえること自体光栄な会社なので、たとえ無償でも引き受けちゃおうかなって思ってます。(でももし報酬が出るなら自分の記事にいくらの価値があるのかちょっと気になるw)
私の経歴で二ヶ月もの休暇を取得して、サンティアゴ巡礼するのはやっぱり珍しいでしょうし、需要あるなら嬉しいです^^
ではでは、本題をサンティアゴ巡礼に戻しましょう。
様々な過程がありましたが、結果論で述べます。
巡礼してよかったです。
正直、誰にでも勧められる道ではありません。
この道はあなたの年齢や性別、性格、体力、経済力、語学スキルで大きく変わります。
一番、大きく影響するのは性格と語学スキルだと思います。
どんな性格の人でもできるし、英語もスペ語もフラ語も何も話せなくったって大丈夫。
でも、性格が違えばストレスに感じることが異なるし、
語学が苦手な人は他国の人と深いコミュニケーションが取りにくい。
だから、無責任に私の主観で「絶対」だとか、誰にでも「やってみて!後悔しないから!」とは言えません。
ある日のジャーナルでも書いた記憶がありますが、この巡礼は日本で流行ることはないでしょう。
その理由も追々。
私はあの道が今、とても恋しいです。
あの黄色い矢印がないことが悲しいです。
でも「もう一度、歩きたいか」と聞かれたら、
迷わず、
NO!
断じて、
NO!
一生に一度で十分。
そして、今回の巡礼を超える旅には絶対に成り得ないからだ。
私の今回の旅には大きな目的があった。
そして私を変えたのは、あの道自体ではない。
私はなんだかんだフィニステラやムシアまで行ったので総距離約900キロを歩いたわけだけど
この旅は、「人との出会い」こそが全てだった。
歩きたくないよ・・・
アルベルゲ嫌だよ・・・
ご飯美味しくないっす・・・
こんな文句ばっかり言ってた私が、サンティアゴに着いても、歩き続けた理由は、
この巡礼で出会った人たちと一緒に同じ温度の思い出を共有したかったからだ。
私はこの旅で何人のFB友達が増えたかわからない。100人はいると思う。
私のこのブログには「友達とも呼べないレベルの友達」との表現がある。
そう、それも事実。
でも、終わって見て、面白いことに私は親友とも呼ベる友人が、この旅で一人できた。
そして、一生涯の付き合いになるだろう友達が3人できた。例えば、この4人の誰かが結婚式を挙げるならば、私は海を越えて列席する。
そんな女友達が4人もできたのだ。ミラクルである。
大学を卒業してから、
いや、在学中だってそう、
心から大切な、その子のために泣けるような、全力で走れるような友達なんて今後できないと思っていた。
リア充の巣窟のような大学にいた為、私もそんな振る舞いをしていた時期もあったけど、
それは表面上だけで、誰とも深い付き合いはしなかった。
年をとるほど、友達は減るものだと思っていた。
FBに1000人以上の友達がいて、それは年々増えているのに、不思議な感覚。
親友が今更できるだなんて、ありえないと思っていた。
私には一人だけ、親友がいる。その子は頭が一つ抜きん出ていて、後二人とても仲良しな親友とも呼べる友人外る。
そしてさらに二人、一生涯の付き合いになるだろう友人がいる。
この合計5人が私の真の「友達」であり、今後、増えることはないと思っていた。
彼らは、全員高校時代までの友人だ。
あの最高に楽しくて遊びまくった華やかな女子大生生活で、たったの一人も増えることはなかった。
それくらい、私は人と深く関わることが嫌いで、自分をさらけ出すことが苦手なのだ。
そんな私がこの旅で、4人もである。
それくらい、濃い時間を共に過ごした。
大学4年間での付き合いよりも濃厚な時間を共に過ごした仲間ができたのだ。
それが、この旅の、全てだったと言える。
この道で出会いが、私の目的を達成させた。
「贖罪」
この私の言葉自体が間違っていると、私に知らしめてくれたのだ。
私はきっと人生でこの旅に出向いた時ほどの悲しみや憎しみを感じることはないと思う。
というか、ないと願っているw
でも、もし、そんな辛いことがまたあったなら、
その時、初めて、また歩きたいと思うんだと思う。
やっぱり私は歩くのが好きじゃないし(東京戻って早速またタクシー生活w)
アルベルゲは嫌い。
でも、そんな時はまた歩いちゃうんだろうなぁと思ってしまうのは
あの道では自分が必要としてるものが必ず見つかると思うからだ。
いや、それだと言い方に語弊があるかも。
あの道は、至極単純な生活を強いられるため、物事の本質が見えやすいのだ。
私はある日のジャーナルに、この道を映画にたとえて、脚本が弱いフランス映画みたいだと書いた。
後半で何か追い上げがないと、物足りないと。
はい。ありました。ものすごい追い上げが。全く予想していない展開が。
人生って面白いなぁと思った。
結果的に私が自分自身で出した「答え」は、見る角度を変えるだけでもっと美しいものになった。
6が反対から見れば9であるように、どちらが正解ではない。両方正解。
自分が論理的に正しいからといって、他が間違っているわけではないのだ。
反対側からは、違う数字が見えていて、それもまた真。
彼女たちは、私を反対側に引っ張ってくれた。
まぁ見てみろと、6を6でしかないと思っていた私に9を見せたのである。(すっごく簡略的に話してますw)
その時の私の感動はすごかった。
9でも、いいのだと気付いた時の安堵。
「本当だ。9だ。」
それは、考え方の違いだとか、宗教的な思想ではない。
ただ、角度を変えただけだった。
でも、一人では、間違いなくその世界に気づかなかった。私は自分が見ている「6」こそが正しいと思い込んでいたからだ。
またまた変な例えになってしまうが、何度解いても解が合わない数学の図形問題のような経験もあった。
どうしても解けずにいて、「ここに対角線引けば?」と横から言われて、
「えーこれで解が出るわけないじゃん・・・」と思いながらも途中から「あれ?これいけるんじゃない?」とテンションが上がってきて、最終的に答えが合った時の爽快感に近いものすらあった。
「ここに一本引けばよかっただけなのか。なんだ、簡単じゃない。」と、解が出てしまえば単純に思えるのだが、そこに自ら線を引けるかどうかが全てなのである。
途中で計算ミスをしていたって、それがあっていれば、いつか答えにたどり着ける。
でも、気づかない人間は、いくら計算が正確で速くとも、永遠に解が出ないもしくは合わない。どこかで矛盾が生じてしまう。
私は、この旅で、人生は連続した数式のようだと思った。
なんというか、起こることには全て意味があるのである。
偶然なんてものは存在しないのかもしれないとすら思った。
ある人はそう言った美しい事象を神と呼ぶし、ある人はジーザス、アッラー、ブッダ、ユニバースと呼んで崇め、私はそれをフォーミュラと呼びたい。
数式のように、美しいからだ。
私のこれまでの人生や、この先起こることには全て意味があって、その解は何であっても美しいと心から思えるようになった。
だから、少なくとも、私にとって、この旅は人生で最高の二ヶ月だった。(バルセロナ含む)
では、旅に関してはまた後日!!
良い1日を。たまねぎでした。
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