たまねぎの憂鬱 ー聖地サンティアゴへの巡礼路2016ー

慶應卒なんちゃってエリートOLが仕事と恋愛をほったらかして800KMスペイン・サンティアゴ巡礼の旅!

箱の中身

先輩の同僚がロンドンから来ていて、一緒に飲んでいたのだけど、

 

7月下旬にバルセロナにいるよーって言ったら、来てくれるって!!

 

彼はイタリア人だけど、パキスタンとのハーフ。(普通にかっこいい。目がハートになっちゃったよ←)

 

イタリア訛りのイギリス英語とか反則。

 

セルジオロッシかミュウミュウのハイヒール持っていきたい・・・あぁ・・・

 

ところで、出発前にしてありとあらゆるカミーノの情報サイト・ブログを読んでいるんだけど、

 

www.caminoadventures.com

 

荷物は体重の10%以下・・・??

 

つまり私だと重くても5kgは超えてはならないということになる。

 

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これはかなり無理なので、6kgに設定しよう。実際はおそらくこれにお水や食料が乗っかってプラス1kgに成る。7kgなら、まぁ許容範囲!!かな・・・。

 

お気に入りで読んでいるブログの著者さんが、ワンピースは1着持ってた方がいいよと教えてくれたので、持って行こうと思う。

 

安くて(最悪捨ててもいいもので)、軽くて、可愛いもの・・・

 

うーん・・・

 

とりあえず、3着厳選。

 

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ボラカイ島 

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 カンクン

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イスラムヘーレス島 

 

どれかを持って行こう!

 

足元がビーサンでも可愛いワンピースとなると、上記みたいなリゾート系ワンピしかない。

 

なんだかすでに7キロ超えてる気がするけどw、頑張って規定内に収めよう!!

 

 友達には「体力ないのに大丈夫?!」「毎日20km以上とか、死ぬでしょ」「富士山どころか、高尾山も無理なんじゃないか」と言われる私。普段本当に歩かない。運動しない。スニーカーすら履かない。

 

多分、大丈夫か大丈夫じゃないかだと、大丈夫ではないwww

 

でも、まぁ、根拠なく自分を信じています。

 

そして、楽しむことだけが、今回の巡礼目的じゃないから、いいんだ。

 

ちょっとくらい苦しくないと、きっとゴールに着いた時に泣けない。

 

荷物も旅程も、楽しむ気満々ではないかと思われそうだが、100万近く使う2か月なのだから、もちろん楽しむつもりである。意識して節約するつもりもない。

 

(これプラス、東京の固定費で四十数万が消化されるのだから、この二ヶ月の出費は正直しびれる)

 

でも、心に決めていることは、

 

目的を旅路で聞かれたら、正直に話すこと。プライドで隠したり、カッコつけたりしないこと。

 

思い出すのが苦しくても、歩いている間は毎日、考えること。赦されるために、祈ること。

 

ブログとかメール、日本との電話、それから日本人に話かけられない限りは日本語に触れない、頭で考えない、独り言でも口にしない。邦楽も聴かないこと。

 

多分、一番はじめの正直に話すことが最も難しい。初めて会う赤の他人に、自分の弱みをさらけ出すなんて、そんなことしたこともないし、すごく苦手だ。

 

そして、相手のリアクションも怖い。相手の対応によっては私の心は壊れるかもしれない。

 

できるだけたくさんのミサに参加して、懺悔して歩いていく。

 

最後の最後はコンポステラの金曜日の午後のミサに参加し、懺悔の門をくぐる。

 

怖いのは、私がそれでも変わらなかった時。

 

「こんなの、自己満足だ」とリアリズムに捉えてしまった時。

 

それは、誰よりも、私が私を赦せないということだから。

 

「赦されるわけないじゃない」

 

コンポステラで、もしもそう感じてしまったなら、私の旅は、単なる思い出作りと変わらないものになり下がる。「普通の旅行とは違った、いい経験ができた」と。

 

神秘的な体験がしたいわけじゃない。キリスト教に改宗したいわけでもない。

 

でも、信じたい。どうしても信じたい。赦されたってどう感じることなのか、わからないけど、中世の巡礼者に自分を重ねて、歩いてみたい。

 

裁判じゃないのだから、誰かに「有罪」「無罪」をジャッジされるわけではない。

 

それに、仮に法廷で判決を出してもらったとすれば、私は間違いなく「無罪」だ。

 

誰も、それが法であろうとも私を責めれない。裁けない。

 

でも、本人の魂が生きていても、私に「赦してるよ」っていうのかなって考えると怖くて怖くて心の奥にしまいこんでしまう。

 

ロジックで考えれば、私はこんなにも悩む必要なんてない。自分が第三者であれば、いかに悩む必要がないかを説くことだってできる。

 

でも、それができない。頭でわかっていても、無理なのだ。

 

自分は可愛げがないくらいロジカルな人間だと思っていたけれど、ロジックで納得できなかったらどうしたらいいのかを考えた時、

 

神への道、祈りの道、贖罪の道として現代まで受け継がれたサンティアゴ巡礼で、

 

何百年も巡礼者の想いを運んだその道で、

 

私もその絶対的な光がある世界を信じれるかなのだ。

 

たとえ、箱の中が空っぽでも、中に宝石が入っていると信じていたなら、

 

その中に宝石は、入っているのである。

 

最後まで開けることなく、命果てたのなら、持ち主には、最後までそこに宝石は存在していたと同義なのだ。

 

そして、私は信じたい。宝石があると。

 

空っぽかもしれないと思っているのが怖い。

 

「箱の重さは何gだから、中にはきっと宝石が入っていますよ」と論理で言われても、私のはあなたのと箱の重さが違うのかもしれないじゃない・・・

 

「箱を振ると、何か音がします。きっと宝石ですよ」と説かれても、石ころかもしれないじゃない。どうして宝石だと言えるのよ・・・

 

これが今の私の状態である。

 

私の箱には、宝石が入っている。

 

そう信じれる心が欲しい。

 

私は赦されて生きていると、心から思いたい。

 

普段はすーぱーポジティブ、たまねぎでした。

 

 

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