たまねぎの憂鬱 ー聖地サンティアゴへの巡礼路2016ー

慶應卒なんちゃってエリートOLが仕事と恋愛をほったらかして800KMスペイン・サンティアゴ巡礼の旅!

「旅」と「逃げる」こと。

 

GWも終わり、久しぶりに彼にも会って、私はこの人を約2ヶ月日本に置いていくのね・・・

 

浮気されたら・・・浮気なんてされたら・・・

 

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殺人犯になってしまうかもしれないから、やめようかしら。なんて一瞬考えたたまねぎです。

 

最近のコナンならこれくらいの動機で十分オーディション通りそう。

 

(だって好きなんだもの。いい男なんだもの。手に入らないなら消しちゃいたい☆的な。)

 

約二ヶ月日本を離れるということは、もちろんリスクを負う。

 

キャリアにひびくかも(切実w)、彼が目移りしちゃうかも(私がしちゃうかも←)、愛犬が寂しくなって病むかも、巡礼で気が大きくなって帰りにパリで(記念とかご褒美とか適当に正当化して)お買い物して破産しちゃうかも・・・

 

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そう。20代(30代)で、大学生でもないのに、サンティアゴ巡礼に出るということはリスクを負うことなのだ。

 

リスクの中にしか自由はない。

 

リスクのない自由は親の扶養に入ってた学生まで。

 

リスクやだー、後悔するかもー、みんなと一緒が安心☆なんてタイプは普通にヨーロッパ旅行をオススメする。

 

「いつか行く!」なんて具体性のないタイプは経験則、一生行くことはないだろうと思う。

 

いつかバロセロナに行く!とはタッチが違うのだ。

 

お金以上に時間の自由を要する旅。それがサンティアゴ巡礼なのだ。世界一周もかな?

 

だからって全てを捨てて行くのは違うと思う。だって、日本で生きて行くわけだし。

 

日本人って休みないよねー、働きすぎだよねーwなんてディスってはいけない。

 

この国ほど素晴らしい国はないのだ。(そんなことないYO!って人は日本より素晴らしいと思う国、(外資)企業で働けばいい。努力さえ惜しまなければこの世代の人生選択肢は無限だ。)

 

巡礼の道に多いイタリア・フランス・スペイン人を考えてみればわかる。彼らは国として(経済的に)弱いではないか。いい悪いではないが。

 

(フランスはそうでもなくない?GDP世界5位じゃない?って人。ユーロ導入後のフランス経済の不安定は半端ない。私は金融経済情報には弱いので是非調べてみください。)

 

スペイン人はいいな〜日本ってさぁ(愚痴愚痴)・・・と言う友人がいたが、私は、「だったらスペインで働けばいいのに」と率直に思った。

 

英語ができない?スペイン語が話せない?

 

もしもし?努力してから言ってますか?と、私は思う。

 

日本人なんだから、努力しないで話せるようになるわけないじゃんw笑わせないでwと思いませんか?

 

私の彼は英語がほぼ話せなかったが凄まじい努力をして、外資コンサルで海外プロジェクト含めバリバリ英語使って働いている。

 

大好きな先輩は海外に住んだこともないのに、学生時代にTOEIC満点、同外コン退職後、現在米国ファンドで働いている。なぜかスペイン語もできる。

 

そうすると今度は私みたいな帰国子女は「何の苦労もしていないで話せる」というズルイという目で見られるが、馬鹿言っちゃいけない。

 

小さい頃に日本語が通じない環境に放り込まれることの大変さは凄まじい。皆が日本で鼻垂らして運動場を駆け回っている頃、こっちは異国に必死の思いで適応・勉強していたのだ。

 

そして帰国してからは文化適応できず、イジメられたりする。私はそうだった。今でも思い出すと泣けてくる。(逆に、向こうでイジメられたという話もたまに聞く。)

 

苦労・努力なしに何かを習得しようなんて甘いのだ。

 

そして努力のポテンシャルは最強なのである。(報われるとは限らないので、敢えて可能性ニュアンスで。) 

 

だから、若いうちに(社会人になってから)世界一周だとかサンティアゴ巡礼のような「旅」に出る人は、どうかその旅を現実からの「逃げ」に使わないでほしいと思う。

 

努力をせずに、逃げちゃいけない。

 

目的のない旅は、終わった時に悲しいじゃない。(バカンスとか、単に観光をする「旅行」なら話は別。思いっきり現実を忘れて楽しむべき。)

 

「旅」は、有意義であるべきだ。無意味に終わらせるには世界はあまりにも美しすぎて、もったいない。

 

だって、もうどうしようもないんだよ!海外行って非現実空間の中でリフレッシュしながら考えたい、日本にいても何も変わらないんだ、何かを変えたいんだ・・・

 

だったら、何に自分は壁を感じているのか、本当は何から逃げたいのか、何が不満で、どうなったら幸せかなど自分が心に抱えるもの(目を背けているもの)をせめて明確にしていくべきだと思う。そして必ず答え(解決策)を出して帰国することを決意しなくてはいけない。

 

何が問題点なのかを漠然とさせたまま旅をしていても、おそらく何か変わった気になって帰国するだけだ。実際はおそらく何も変わっていないだろう。

 

それではただの思い出作りだ。「旅行」と変わりない。それを笑っていられるほど、もう若くないんじゃない?

 

逃げたって、帰ってくる場所は、変わらない。世界も、日本も、社会も、会社も、人間も、誰もあなたの為に変わってくれはしない。変わらないといけないのは常に自分なのだから。 

 

与えられた環境を生かすも殺すも自分。感謝できるか当たり前に捉えるかも。

 

なんてね。(ちょっと上から目線たまねぎでした。私は全く大した人間ではありません。)

 

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 では、ちょっと話を巡礼に戻して・・・

 

巡礼路への旅立ち

 

中世のコンポステラへの平均的な巡礼者像とはどういうものだったのだろうか。

 

巡礼に赴くものは、まず商売を休んだり、留守を頼んだりの算段をしなくてはならない。

 

路銀を調達し、領主からは通行手形を、教会からは巡礼者である事の証明書を発行してもらった。

 

頭布もしくは帽子を被り、歩きやすいように前の割れた長衣をまとい、半靴かサンダルを履く。

 

食料や通行手形などを入れる巾着袋、水やぶどう酒を入れるヒョウタンを肩にかけ、手には巡礼杖を持つ。

 

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杖は歩くためだけではなく、蛇や犬や狼を追い払うのにも役立った。

 

それから、サンティアゴ巡礼の「しるし」である帆立貝も身につける。

 

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手頃の容器としても用いられたこの貝殻は、もともとは巡礼一般の象徴であったが、やがてサンティアゴ巡礼のみの象徴となる。

 

コンポステラ大聖堂に残る「聖ヤコブの書」(12世紀)には、

 

エルサレムから帰る人々はシュロの葉を携える。サンティアゴから帰る人々は貝殻を持っている。」とある。

 

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(シュロの葉)

 

当初はこのように、巡礼の記念に持ち帰るものだったのが、いつしか住路にも身につけるようになったのだ。

 

この貝は、巡礼を果たした人の墓石に刻まれたり、棺に納められたりもした。

 

フランスではその名をコキーユ・サン・ジャック(聖ヤコブの貝)と呼んでいる。

 

巡礼保護の国際法

 

出発の日、巡礼者は所属の教会で祝福を受けたのち、皆に見送られて旅路につく。

 

馬に乗ったり、お供を連れての豪勢な巡礼は庶民には縁がないものだった。

 

人里離れた霧深い夕暮れ道では彼方に聞こえる教会の鐘の音だけが、山地では小石を積み上げた道標だけが頼りである。

 

道で出会った者同士励まし合い、神や聖人を讃える巡礼歌を口ずさみながら、聖ヤコブの墓を目指す。

 

中世の巡礼者は、1日に30〜40kmを歩いたというが、ピレネーの峠から先だけでも3〜4時間はかかる道のりである。

 

道筋に沿っては、巡礼者のために救護院が設けられていた。救護院では、まず巡礼者の汚れた足を洗って歓迎の儀式とし、夕食にはパン、スープの他、ブドウ酒かリンゴ酒を振る舞い、翌朝には弁当としてパンと飲み物を与える。

 

附属の礼拝堂もあり、司祭がいて説教し懺悔を聞き、聖体拝領を行う。

 

病んだ巡礼の世話、死者の弔いもしてくれる。

 

こんな施設もなければ、宿屋もない場所もある。そんな夜には、農家の納屋や家畜小屋に泊めてもらうか、野宿しかない。

 

天災人災を問わず、巡礼には危険がいっぱいである。12世紀に書かれた「サンティアゴ巡礼案内記」は、巡礼中の危険の数々を列挙している。

 

飲んではいけない悪い水、法外な舟賃を要求するピレネーの渡し舟の船頭。わざと舟を転覆させて人や馬を溺れさせ、持ち物を奪い、馬の皮を剥ぐ船頭すらいる。

 

不法に税を取り立てる徴税人、道案内人を装った追剝ぎ、修道士になりすましてミサをあげる詐欺師。

 

両替屋、旅籠屋、商人の中にも外国から来た巡礼者を食い物にしようとする輩がいる。

 

さまざまな危険から巡礼者を守るために、12世紀後半には一種の国際法が生まれた。

 

巡礼者とその荷物や馬に通行税をかけないこと。

 

物を売る際、目方や長さをごまかさず、土地の人と同じ値段で売ること。

 

巡礼者が宿で死んだ場合の所持品の分け方まで規定された。

 

こうした同情や保護をあてにできた巡礼者は、悪者どものかっこうの隠れ蓑となったりもした。

 

物乞いに始まり、スパイ、詐欺師、強盗までがこれ見よがしに貝殻を身につけ、巡礼姿を装ったため、逆に本物の巡礼者までが恐れられるようにすらなる。

 

偽巡礼者から区別されるためにも、「巡礼証明書(クレデンシャル)」は必要だったのだ。

 

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 (現在も残る巡礼証明書の伝統)

 

巡礼者のコンポステラ滞在が3日以内に限られていたのも、こうした巡礼姿の悪者たちの存在があったからであった。

 

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現在、この旅の道中では、必ず「なぜカミーノ(この道)を歩いているのか」聞かれるという。

 

日本では友人、職場含め前回の記事

 

caminodesantiago.hatenablog.jp

 

ポジティブサイド書いたように、映画The Way が好きだからー、中世スペイン(ヨーロッパ)の歴史が好きだからー、人生で一回くらいこんな旅してみたっかったの⭐︎ワイルドだろ〜?(死語)的な理由を述べているが(嘘じゃない)、

 

実際の巡礼の道では、極力、素直に言葉にしようと思う。

 

それは私にとって懺悔の一環。

 

その時の私の苦しさが贖罪であり、私自身が受け入れることにきっと繋がるからだ。

 

英語だと、どう言おうか・・・ひとり、部屋でつぶやいてみたが、それだけで涙が出てきた。胸が苦しい。吐きそう。

 

心や頭の中で思っているのと、その言葉を口からに出すことは全く違う。

 

声に出す言葉は、こんなにも重いのか・・・。

 

これは、やばい。

 

泣かれたら聞いてきた相手も気の毒すぎる・・・

 

普通のありきたりな質問なのに・・・

 

でも、これくらいの心労がないと、赦されないのかもしれない。

 

幾多の人に話すことで苦しんで、受け入れたのち、コンポステラの免罪の門をくぐってこそ、赦されたと信じることができるのかもしれない。

 

たまねぎでした。

 

 

 

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