たまねぎの憂鬱 ー聖地サンティアゴへの巡礼路2016ー

慶應卒なんちゃってエリートOLが仕事と恋愛をほったらかして800KMスペイン・サンティアゴ巡礼の旅!

生きている中世を歩く旅路

イベリア半島の西のはずれ、サンティアゴ・デ・コンポステラには十二使徒の一人、聖ヤコブの亡骸が眠る

 

最盛期には年間50万人もの人々が、ピレネー山脈を越えてはるばるとこの聖地を目指した。

 

帆立貝の道標に導かれるまま、巡礼者たちとともにこの道を辿れば、今も中世さながらの風景が広がり、教会をロマネスク美術の傑作が飾る。

 

スペインには、こんな手付かずの魅力的な旅路が残っていたのだ!!

 

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巡礼のゴール、サンティアゴ・デ・コンポステーラって??

 

私はサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」に影響を受け、大学で政治学や宗教対立を中心に学び、アラビア語まで選択した。 

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こんな小難しい本を読むきっかけとなったのは、大学受験時代の恩師が私の小論文を読んで合格が決まった後でもいいから入学前に読んでおけと薦めたからだ。

(お前が落ちるわけがない、何故ならば俺が教えているからだというカリスマ講師の洗脳に掛かっていた。彼のお陰で落ちるかもしれないという不安が一切なかった。河合塾の玉置全人という素晴らしい講師だ。第一志望は見事に落ちたけどな。)

 

小論文に与えられた課題文が何であるにしろ、自分で独自にテーマを立て、相互性を見つけて論述を展開させていくのがいわゆる受験テクニックだが、私は政治・法律・社会・文化系の課題文に当たった際には9.11同時多発テロを軸に毎回論じていた。

 

このテーマは割と万能であり、文系課題文には怖いものなしで対応できたものだ。

 

そんなこんなで大学入学後もキリスト教ユダヤヘブライイスラム・・・この辺りの歴史や宗教背景は自分なりに興味を持って学んだ。

 

 そんな私がである。上司に聞かれたのだ。

 

ボス「なぁ、たまねぎ。キリスト教の三大聖地ってどこだっけ?」

 

私「えーっと。エルサレム、ローマ、、、」

 

ボス「エルサレム、ローマ・・・?」

 

私「Jerusalem, Vatican....」

 

ボス「wwwww」

 

私「え・・・3つあります?」

 

ボス「ないの?ここにキリスト教三大聖地にローマ法皇が云々て書いてあるぞ。」

 

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(あれれ〜?ローマとバチカン市国って別で考えるんだっけ?

いや、そんなはずはない。

だってあの聖地は聖ペトロが祀られているサン・ピエトロ大聖堂だもの!バチカン一択よ!)

 

ボス「・・・知らないなら調べれば?w」

 

私「いや、ちょっとド忘れしてるだけです(悔しい)」

 

落ち着け、自分。

 

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ロジカルに考えれば、答えは導かれるはずだ。

 

聖地となっている場所(建物)ならば聖人の名が元になっている可能性が高い。

 

キリスト教における重要人物が元になっている場所・・・

 

ということは最も匂うパレスチナやナザレ、アンマンは違うはずだ・・・

 

キリスト教の歴史を考えろ・・・思い出せ・・・

  

(ピコーン!)

 

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イスタンブールだ。

 

 

間違いない。(犯人はお前だ!)

 

東ローマ帝国ビザンツ帝国)の古都で、もともとはコンスタンティノープル

 

キリスト教を初めて国教にした皇帝コンスタンティヌス1世の名にちなんでいる!!

 

ビザンティン建築の最高傑作、ハギア・ソフィア大聖堂もある!!!

 

Sophiaキリスト教では神の叡智を意味する・・・!

 

聖地に相応しい。美しい。素晴らしい。

 

私「イスタンブールです!間違いないです(ドヤ!)」

 

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ね?google

 

イスタンブールでしょ?

 

え??ちがう・・・?そんなはずn…

 

 

Santiago De Compostela

 

 

どこですか、それ!!!

 

 

あぁなるほどね、とすらならない。

 

サンティアゴってもうアメリカの西海岸しか浮かばないよ・・・

 

 

これが私とサンティアゴデコンポステーラの出会いでした。

 

 

どうやってこの単語を避けて通ってきたのかもわからない。

 

たまたま講義で寝てたとか?

 

違うこと考えてて聞き流しちゃった?

 

たまたま触れてない文献ばかり読んでた?

 

誰か教えて。

 

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あぁ、こんなんだからボスに低脳未熟大とか言われるのね。

 

東大以外は大学じゃないからなとか笑われるのな。

 

もうこれは、逆に運命だと思わずにはいられない。

だって今まで出会わなかっただなんて、変だもの。

 

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聖ヤコブ

 

「スペイン巡礼の道」は、聖ヤコブの亡骸が眠るサンティアゴ・デ・コンポステラに詣でるために、巡礼者たちが歩いた道である。

 

聖ヤコブはキリストの直弟子、十二使徒の一人で、新約聖書ヨハネ伝」の書き手として知られる聖ヨハネの兄でもある。

 

伝説によれば、スペインで布教した聖ヤコブは紀元44年頃エルサレムに戻って殉教したが、その亡骸は舟に乗せられ、風まかせの航海の末、スペインのガリシア地方に流れ着いたという。

 

そして9世紀はじめ、この地で聖ヤコブの墓が”発見”されると、当時イベリア半島の大半を占領していたイスラム勢力への橋頭堡を確保するための絶好のチャンスとばかり、キリスト教世界は色めきだった。

 

こうして巡礼路はめざましい発見を遂げ、全盛期の12世紀には年間50万人もの人々がヨーロッパの西のはずれの聖地を目指したのである。

 

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聖ヤコブはまたの名をサンティアゴ・マタモロス、”モーロ人殺しの聖ヤコブ”という。

モーロ人(ムーア人)とはアフリカ北西部のイスラム教徒のこと。

 

聖人の名に冠させられたにしてはなんとも血なまぐさい呼称の由来は、844年、クラビホの戦いに白馬に乗った聖ヤコブが現れ、押され気味だったキリスト教軍を𠮟咤激励、陣の先頭に立ってイスラム教徒を蹴散らしたという伝説による。

 

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スペインは8世紀からイスラム教徒に国土を占領されてきていたので、人々は切実に国の守護者を求めるようになっていた。

 

そこで白羽の矢がたったのが、コンポステラで多くの支持を集めていた聖ヤコブだったのだ。

 

元はガリラヤの漁師だった聖ヤコブは、勇猛な軍神へと変身を遂げたのである。

 

それまでイスラムに贈られ続けていた「100人の処女の貢ぎ物」がこの戦いの勝利によって廃止されたという口伝もオマケとしてある。

 

こうしてスペインでの聖ヤコブ信仰は、戦士たちのみならず、多くの人へと裾野を広げていったのである。

 

サンティアゴ大聖堂の中にはこの戦いの像があるという。訪れた際にはぜひ一見したい。

 

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次回からもサンティアゴ巡礼にまつわる歴史等を交えながら、旅路に向けた準備工程や巡礼する決断に至った経緯をゆるゆると綴って行こうと思う。

 

巡礼中も、旅路記録としてできるだけ更新していきたい。

 

 

コナン大好き、たまねぎでした。

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